久原の本気Project Story

Project Story 1
成長中だったからこそ、抱いた危機感。
自社ブランドへの決意から、からしめんたいこ「椒房庵」ができるまで。
成長中だったからこそ、抱いた危機感。
自社ブランドへの決意から、
からしめんたいこ「椒房庵」ができるまで。

当主の河邉が会社を継いだとき、たった6人だった久原本家。その後様々な苦労を経て、小袋のタレをつくるようになり、会社は急成長しました。しかし、そんな中でも不安はありました。それはタレのOEMでは自社の名前は出ず、あくまで納品先の商売に頼ったものだったからです。先方から「もう要りません」と言われたら、そこで終わり。そんなある日、工場で働いていた従業員から「この仕事は下請けだから、いつまで続きますかね」という一言があり、河邉はショックを受けます。自分だけでなく従業員も危機感を感じている。やはり、自社ブランドを作らなくてはならない。そう決意した瞬間でした。

最後発から挑んだ「からしめんたいこ」
そこにチャンスがあると考えた。
当時、福岡ではすでにからしめんたいこはお土産として人気でしたが、河邉はブランドにこだわったものを作れば、自分たちにもチャンスがあるのではと考えました。北海道産のたらこ、味付け、それを包むパッケージからネーミングまで徹底的にこだわりぬきました。「椒房庵」とは、中国の古い言葉で皇后の住まいを表します。皇后に召し上がっていただくようなものを目指した結果、これまでとは違う、からしめんたいこが出来上がったのです。

9年続いた赤字の中で、
あえて品質を上げる決意をくだす。
しかし、質のいい国産原料を使い、てまひまをかけているため、事業は赤字。その赤字は9年も続き、内外からも「やめてはどうか」という声も上がりました。そこで品質に妥協するのではなく、敢えて北海道産の原料にこだわりました。結果的に「椒房庵」の評判は上がり、ついには久山に開いた店舗までお客様がわざわざ足を運んでくださるまでになりました。「椒房庵」は、久原本家の最初のブランドであり、のちに続く様々なノウハウや理念がここで確立されたのです。